沖縄の伝統芸能「組踊(くみおどり)」の誕生

約300年の歴史を持つ沖縄の伝統芸能「組踊(くみおどり)」の誕生と、その背景についてご紹介していきます。

沖縄の伝統芸能「組踊(くみおどり)」の誕生

沖縄の伝統芸能「組踊(くみおどり)」の誕生 沖縄の伝統芸能として有名な「組踊」が誕生したのは、今から約300年前、18世紀初頭にまでさかのぼります。当時の沖縄はまだ「琉球王国」と言われていた時代。当時の琉球王府が、中国皇帝の使者である冊封使をもてなすために生まれたのが「組踊」です。

1718年、2度目の踊奉行(おどりぶぎょう)に任命された玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)。彼が初めて組踊を創作した人物です。踊奉行というのは、冊封使(さくほうし)をもてなす宴(うたげ)で音楽や舞踊などを担当する役職です。玉城朝薫は翌年の1719年に行われた尚敬王(しょうけいおう)の冊封の御冠船踊(おかんせんおどり)の演目の1つとして組踊を初演しました。当時、冊封使だった徐葆光(じょほこう)が書いた書物『中山伝信録(ちゅうざんでんしんろく)』に、その事が詳細に記されています。中山伝信録によると、この宴にて「二童敵討(にどうてきうち)」「執心鐘入(しゅうしんかねいり」「銘苅子(めかるし)」「孝行の巻(こうこうのまき)」「女物狂(おんなものぐるい)」の5演目が上演されたと記されています。

玉城朝薫が創り出した組踊は、能楽や歌舞伎などの要素を取り入れながらも、元々の琉球の言葉や音楽・舞踏を融合させ、この国独自の歌舞劇として生み出されました。